名前:神崎ネリゴ 1988年生まれ
趣味:読書・旅・筋トレ・釣り・競馬
「変わった名前ですね」とよく言われますが、ネリゴという名は趣味の釣りからとった名前です。正式名称はカンパチという魚で、みなさんも聞いたことがあると思いますが、すごくおいしいお魚です。
九州地方、主に長崎や福岡の地域で若いカンパチのことを指します。
幼少期の私は、ネリゴを釣りあげるのが夢だったのです。その夢は、すぐに達成することになるのですが、そのときの気持ちや初心を忘れないように、ネリゴという名で活動しています。
趣味の中でも特に旅行が好きで、昨年は思い切って車で1ヶ月ぐらい旅に出て、日本を半周しました。
サラリーマンから脱出し、自由を手に入れたら絶対に自分の車で行きたいと思っていた【北海道の神威岬】です。
サイト名でもある【自分らしく生きるということ】をコンセプトに、自分らしく人生を生きるために必要な思考法・ビジネスシーンで役立つコンテンツ・お金のことについてなどを発信しています。
誰もが悩みや生きづらさを抱えて人生を生きています。
しかし、人間である以上、それは当然のことなのです。でもそんなとき、心が安らぐ言葉や元気や活力が出る考え方があれば、前を向いて歩き始めるキッカケになったりしますよね。
私もつらいときに言葉に触れ、心が軽くなり活力が湧いてきた経験があります。言葉には、計り知れないパワーがあることを経験したからこそ、このブログの記事を読むあなたの心が少しでも軽くなるように、言葉を紡んでいます。
また、お金を稼ぎたい人やサラリーマン人生から脱出したい人に向けてのコンテンツについても、充実していると自負しています。
普通のサラリーマン家庭に生まれ、普通に進学し、就職の氷河期と呼ばれていたこともあり、大学卒業までに就職が決まらずニートを経験しました。その後、2ヶ月で就職が決まり、1社目では約8年間働きました。
しかし、その会社で「10年後、20年後の自分の姿が見えてしまい絶望したこと」「何かわからない漠然とした違和感があること」などの不満があったので転職を決意しました。
そして2社目ですが、上場企業ということで給料が良く、福利厚生などもしっかりしていましたが、職場の雰囲気が好ましくなく、同僚のモチベーションがまったくない現場で働きました。
工場勤務ということもあり、朝礼前にラジオ体操をするのですが、そのときに「私はいったい何をしているのか…」と度々思う瞬間があったのです。もちろん1社目も2社目も、自分の情熱が持てることを仕事にしていました。
しかし、1社目で感じていた漠然とした違和感は、2社目でも続いていました。
あるとき、その違和感に気づいてしまったのです…
それは、サラリーマンという仕事の本質です。自分の時間を差し出して、その大量の時間と引き換えに給料をもらっているということです。そして、自分がやりたいと思っていた【いろんな場所に住んでみたい】ことや【日本・世界などいろんな場所に行きたい】ことは、サラリーマンを職業にしていては達成できない目標なのです。
「そんなの年金がもらえるようになってからやればいいじゃん…」と言ってくる人もいましたが、果たしてそのときに活動する元気があるのでしょうか?
そもそも、人間はいつ死ぬのかわかりませんよね。
私たちは生まれた瞬間から、死に向かって進んでいます。ここで、私が自分の人生について気づかされた名言の一つをあなたと共有します。
あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?
伊坂幸太郎 / 小説家
会社の奴隷のように、毎日同じことの繰り返しを行っていても、成長はしませんし、自分の目標も叶えられそうにありません。
人生は楽しんだもの勝ちです。
生きているのか死んでいるのかわからない日々を過ごすよりも、自分を豊かに、そして自分のためにお金を稼ぐと決めた瞬間に、会社を辞める決断をしました。そこからは、無我夢中でネットビジネスの知識を身につけ、ひとり社長として起業しました。
いつ・どこで・どのように働くのかの自由な生活を手に入れ、自分らしく生きることを追求するために日々学びながら、有益な情報を発信していこうと決断したのです。
私の人生の歩み、ターニングポイントのお話をしていきます。少し長いですが、どうぞお付き合いください。
私が高校3年生のときの話ですが、県立の進学校に通っており、朝課外・放課後課外と勉強漬けの毎日を過ごしていました。もちろん進学クラスだったので、文系・理系のどちらかにみんな進学するわけです。
そのときに私は「みんなと同じ勉強をして、同じような大学に進学するのに嫌気が指していた」ことと、「単純に新しいことにチャレンジしたい」ことがあり、両親に文系の志望校から、芸術大学(美大)の志望校へ変更したいと頼み込みました。
高校3年生の6月のことです。
もちろん両親からは、良い返事をもらえず、猛反対されました。時期が時期でしたし、私にはデッサンなどの基礎知識もありませんでした。そして何より、大学卒業後に就職できるのかという問題が一番の心配事でした。
いろいろと意見はぶつかりましたが、両親が私の信念をくみ取ってくれ、芸術大学への道を応援してくれることとなりました。今思い返しましても、よく許してくれたなと思います。
本当に両親には、感謝です。
そこからは、画塾に週4回、夏休みにはほぼ毎日通い、デッサンと平面構成【テーマやモチーフを与えられ、それを平面上(紙)に表現する課題】を、それこそ死ぬ気で取り組みました。
頼み込んだ手前、受験に失敗するわけにはいきませんからね。
幼少期によくアニメやキャラクターの絵を描いていたので、微かに自信があったのですが、デッサンを実際に描いてみるとそれがなかなか難しいのです。ただ書き写すだけではなく、把握する力、表現力や創造力などが必要だったのですね。
うまくいかないながらも、弱音を吐くことなく、漠然と自信があったのは、好きなこと・熱中できることをやっていたからだと後から気づきました。その後、10月末に推薦試験があり、見事合格しました。
手前味噌にはなりましたが、この短期間で合格できたのは、やはり好きなこと・情熱を注げることをやった結果だと改めて思うわけです。この経験こそが私の中のターニングポイントであり、好きなことを求め続けることが人生に必要だと思える、今も変わらぬ信念なのです。